マンスフィールド (Mansfield)
マンスフィールドは1808年に創設され、市名は北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた. 一帯は郡名のリッチランドが示すように肥沃な土地に恵まれ、農地が広がったが、やがて19世紀も後半に入ると、鉄道交通の発展に伴い、工業都市として成長した. しかし、1970年代以降、ラストベルトの多くの工業都市と同様に、この地域における重工業が衰退に向かい、人口は減少傾向にある. そのため、地域経済は多角化、特に重工業依存からの脱却と第三次産業への転換を進めている.
マンスフィールドは1808年6月、北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドの指揮の下、ジェームズ・ヘッジズ、ジョス・ラーウェル、およびジェイコブ・ニューマンによって創設された. 入植地の名であるマンスフィールドはこの指揮官、ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた. もともとは、パブリック・スクエアと呼ばれる広場(現在のセントラル・パーク)を中心として、入植地は正方形に区画されていた. やがて、最初の入植者となったサミュエル・マーティンが、この入植地で最初の、そして1808年中に建てられた唯一の建物となった丸太小屋を区画97に建てた. マーティンはこの小屋で冬を越し、先住民にウイスキーを売っていた. しかし、この行為は違法とされ、マーティンは郡外への逃亡を余儀なくされた. 翌1809年、マーティンが去った後のこの小屋にジェームズ・カニンハムが入居した. やがて1812年、米英戦争の最中、先住民の攻撃から入植地を防衛するため、2棟の方形小要塞がパブリック・スクエアに建てられた. これらの小要塞は一晩にして建てられたものであった. 終戦と前後して、これらの小要塞のうちの1棟が初代の郡地方裁判所庁舎、および監獄に転用された.
マンスフィールドは1828年2月24日、オハイオ州議会の議決により、正式に村として法人化された. その後、1857年には、マンスフィールドは人口5,121人を数え、市制を施行した.
19世紀中盤に入ると、各地で鉄道の整備が進み、マンスフィールドにも鉄道が次々と開通した. マンスフィールドに初めて開通した鉄道は、1846年、マンスフィールドとエリー湖岸のサンダスキーとを結ぶ、全長87kmのマンスフィールド・アンド・サンダスキー・シティ鉄道(後にボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の一部)であった. この鉄道は、その後1850年にニューアークまで延伸された. その後、1850年にはピッツバーグ・アンド・フォートウェイン鉄道(後にペンシルバニア鉄道の一部)が、1863年にはアトランティック・アンド・グレート・ウェスタン鉄道(後にエリー鉄道の一部)がそれぞれ開通した. しかし、1870年に計画されたマンスフィールド・コールドウォーター・アンド・レイク・ミシガン鉄道は、マンスフィールドまで開通することは無かった.
1880年代、これらの鉄道の存在によって、マンスフィールドは州中北部における工業と通商の中心地として発展を遂げて行くようになった. この頃、マンスフィールドでは扉、真鍮加工品、亜麻仁油、サスペンダー、紙箱などが生産されていた. マンスフィールド最大の雇用主はたばこ製造会社のホーツェンローダー社で、1888年時点で285人を雇用していた. 19世紀末には、マンスフィールドのダウンタウンにはビクトリア建築様式の建物が建ち並ぶようになった. 1913年には、アメリカ合衆国初の大陸横断ハイウェイであるリンカーン・ハイウェイがマンスフィールドを通り、さらなる経済発展がもたらされた. その後、20世紀初頭から中盤に至るまで、マンスフィールドは成長し続けた. 1970年には、マンスフィールドの人口は55,047人を数え、ピークに達した.
しかし、1970年前後以降、ダウンタウンの活力は次第に失われていった. 1969年には、マンスフィールドの西に隣接するオンタリオに郊外型のショッピングモールができ、ダウンタウンのデパートは閉店するか、周縁部へと移転していった. 1970年代後半から1980年代にかけては、重工業が労働力の安いアメリカ合衆国外へと流出したことにより、ラストベルトの多くの他都市と同様、マンスフィールドにおける工業は衰退し、市の中心部は荒廃していった. 市内の建物は次々と空き家になり、窓ガラスは割れ、犯罪、売春や麻薬が横行するようになった. 特に荒廃が酷かったのは、セントラル・パークから北へ2ブロック、4thストリートとメイン・ストリートの交差点周辺であった.
1990年代に入ると、ダウンタウンの立て直しが行われた. 1991年に、4thストリートとメイン・ストリートの南西角にリッチランド・カルーセル・パークが開園すると、その周辺には再び各種小売店や飲食店、オフィスが建ち並ぶようになった. 1999年には、カルーセル・パーク周辺地域の入居率は100%になった. また、建物の修復だけではなく、景観やレンガ、さらには鉄製の装飾も用いて、ダウンタウンの美観を回復した.
2000年代後半の世界金融危機がもたらした不況はマンスフィールドの財政にも打撃を与えた. 2008-09年にかけて、マンスフィールドの財政は急激に悪化し、財政緊縮策に失敗したこともあって、市は380万ドルもの赤字を出した. これにより、2010年8月19日、州の監査局はマンスフィールドを「財政危機」にあると宣言した. 2014年7月9日、市は財政危機を脱した.
地図 - マンスフィールド (Mansfield)
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国 - アメリカ合衆国
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